奄美大島の海底で、ダイバーが謎の模様(右図)を発見したのは1995年頃のことだ。砂でできた直径約2mの幾何学的模様である。こんなものが、ひとりでにできるはずはなく、何者かが意図的に作った構造物としか思えない。これが、初夏の半月の頃に、海底に忽然と現れ、いつの間にか消える。誰がどうやって作るのか?そもそもこれは何なのか?謎が謎を呼び、いつしか、「海底のミステリーサークル」と呼ばれるようになった。
イギリスの農園に出現する(した)本家「ミステリーサークル」の方は、1991年に、作成者が名乗りを上げたことにより、人工物であることが明らかになっている。一時は、宇宙人の仕業だ、とか、いやいや、プラズマが原因の自然現象だ、とかの様々な議論がにぎわったが、残念ながら、皆、騙されていたのである。そもそも、謎でもなんでもなかったのだ
一方、海底のミステリーサークルの方だが、水中写真家の大方洋二さんが、2011年に、その作者を発見した。こちらは人ではない。なんと、体長わずか10cmの小さいフグだったのだ。その新種のフグは、アマミホシゾラフグと名づけられ、これで、「誰が?」という問いに対しては、答えが得られたことになる。また、中央部分に、このフグの卵が生みつけられていたことから、この幾何学構造は、メスをおびき寄せるための産卵床であることも解った。
しかし、それですべての問題が解決したわけではない。小さいフグが、どうやったらこんなに巨大で、しかも正確な形状の幾何学構造物を作ることができるのか、さっぱりわからないからである。本家のミステリーサークルの場合、人が、棒とロープをコンパスの様に使って作る。一方、フグはロープもコンパスも持っていない。手も足も無いのだ。
建築中の行動を記録したビデオを見ると、フグは、海底近くを、砂を巻き上げながら放射状に泳ぎ、溝を作っていく。だが、どこにも目印になるようなものみつからない。掘る順番も特に決まっている風でもなく、いきあたりばったりに見える。その上、常に海底近くに居るため、制作過程を上からチェックすることもしない。どのくらい完成したかを確認しないのである。にもかかわらず、手品のような鮮やかさで、ものすごく正確な幾何学模様ができていく。見事というほかはない。だが、どうやったら、そんなことが可能なのだろう?これは、実に魅力的な「謎」である。生物学者だったら、いや、好奇心のある人であればだれでも、「これを解き明かしたい!」と思うのが人情というものであろう。
4年ほど前(2014年)、海底のミステリーサークル研究の第一人者である川瀬裕司(ひろし)氏は、この謎を解明するために、研究協力者を探してしていた。この研究には、動物行動学の他に、3次元形状の正確な測定、シミュレーション、水流中の砂礫の動態力学、などの専門知識が必要となる。そのすべてを一人でこなすのは、極めて難しいだろう。そこで川瀬氏は、生物のパターン形成を専門としている筆者(近藤:阪大)に、相談を持ち掛けてくれたのである。筆者は、ちょうどそのころ始まった、リーディング大学院というプロジェクトで、生物学、情報科学、基礎工学の大学院生が一緒に取り組める課題を探していたため、フグのミステリーサークル形成研究は、まさにピッタリのテーマだった。こうして、千葉県立中央博物館分館海の博物館の川瀬氏と阪大の大学院生との間で共同研究がスタートすることになった。今回、シミュレーションを担当したのは、水内良君(現ポートランド州立大学)。
川瀬氏から我々に与えられたミッションは、どんな原理で、この正確なミステリーサークルができるかを、明らかにすることである。だが、その本題に入る前に、何故フグはこんな複雑な構造が必要なのか、この構造にはどのような機能があるのか、を知っておいた方がより楽しいと思うので、まず、そちらを先に解説したい。以下、川瀬氏のこれまでの研究からの推理である。
サークルは、大雑把に見て、「内側の迷路模様の小サークル」と「外側の放射構造」の2つの部分に分かれているが、メスが卵を産み付けるのは内側の小サークルだ。
この部分の表面は細かい砂で覆われている。おそらく、この細かい砂が繁殖には重要であり、メスに細かい砂の床を見せることで、産卵を促すと考えられた。だが、細かい砂の床は、そう簡単には作れない。なぜなら、海底の砂粒はいろいろな大きさのものがあり、それが混ざっている。特に、小さい砂粒は、大きな砂粒の隙間を落ちていき、下の方に溜まりがちだからだ。
では、どうやって細かい砂粒だけをより分けて、上層に敷き詰めるか?フグには手も足もないし、スコップも持っていない。しかし、細かい砂を上にだす簡単なやり方がある。フグは、鰭を強く動かして水流を起こし、砂を巻き上げるのだ。舞い上がった砂のうち、大きな粒は早く落ち、細かい粒が後から降り積もるので、砂の位置関係を逆転させることができる。
こうして、卵を産み付けるための細かい砂が表面に出てくるわけだが、まだ問題がある。中心部分の小サークルには、かなり大量の細かい砂が必要であり、単に、その場で砂を舞い上げるだけでは足りないのである。だからフグは、どうにかして、周囲の領域から、細かい砂だけを中央部分に集めてこなければならない
もちろん、単に、周囲の部分で砂を巻き上げることを繰り返しても、同じ場所に降り積もるだけなので、中央部分に集まらない。
どうしたらよいだろう?
そこで、周囲の放射状の溝が意味を持つ。まず、直線状の深い溝を掘り、その中心部あたりに体を固定して、鰭を動かすとどうなるか?その通り。溝に沿った水流ができる。細かい砂は、その水流に乗って少し離れたところまで運ばれる。個々の放射状の溝の中心部分に、特に深く掘られた部分がある。(図2の青矢印)フグは、ここの地面に腹鰭を埋めて体を固定したのちに、尾鰭を激しく動かして水流を作り、細かい砂を中央部に送り込むのである。
もっとも効率的に、周囲から中心部に細かい砂を集める溝の配置は、というと、真っ先に頭に浮かぶのが放射構造である。
また、溝は、後ろ向きで水流を作るときに、方向を決めるのにも役に立つはず。
つまり、この不可思議な構造には、必要性に基づく理屈が存在するのである。
(注:溝を作るための労力というコストがかかるので、これが本当に最善のやり方かどうかはわかりません。また、溝にはメスを誘引するための目印、という意味もあるかもしれません。)
研究は、奄美大島でのビデオ撮影による行動解析、砂の分析、計算機シミュレーションにより行った。
建築のかなり大雑把な順序は以下の通り
1) 中心部のマーキング
腹をこすりつけて、なんとなく巣の中心を決める。ご覧の通り、ピンポイントのマークになっていない。
2) 外側の放射溝の作成
主に外側から中心部に向かって砂を巻き上げながら泳ぐことで、溝を刻んでいく。この過程は、3~4日かかり、フグはのべ数千回は同じ掘削行動を繰り返す
3) 砂を中心部に集める
一本一本の溝の中ほどに、外側を向いて着底し、ヒレを動かして水流を作る。巻き上げられた細かい砂は、中心部分に運ばれる
4) 中央部分の整形
尾鰭の先を海底に接触させて泳ぐことで、浅い迷路上の溝を刻んでいく
細かい砂を中央に集めるという「目的」から考えると、2の工程が、土木工事として一番重要であり、正確さを求められる。実は、建築上の謎も、この部分に集中している。フグは、人間の様に設計図を持っているわけでもないし、建築現場をあらかじめ測量して、溝の正確なマーキングをするわけでもない。その上、常に海底付近に居るために、上からサークルの出来栄えを観察することすらしないのである。どうやったら、正確な放射構造をつくれるだろう?
とりあえず、2の工程の一回ごとの掘削行動を、データ化し、統計を取るところから始めた。まず、斜めから撮影した画像を(真上からは撮影できない)、真上からの像に変換しなくてはならない。けっこう難しかったが、画像変換のプロがいたために、何とか成功。次に、変換したビデオから、一回ごとの溝掘削を抽出してデータ化した。フグは、ほとんどの場合、外から内に向いて、直線的に溝を掘る。だから、フグの掘削行動は、(1)掘削開始の位置、(2)掘削の方向、(3)掘削の長さ、の3つの数値で表現できる。
その結果をまとめヒストグラム化したものが下図である。
一見して、正確な土木工事とは言い難い。掘る長さもまちまちだし、特に重要な掘削の方向も、工事の初期には、かなりいい加減なのだ。統計データを見ると、初期(青のヒストグラム)において、ものすごくばらつきが大きいのが解る。標準偏差が0.28ラジアン(16度くらい)もある。
試しに、サークル形成初期における連続20回の掘削をトレースすると、このようになる。
これでは、掘削角度も、長さも、ばらばらすぎて、到底きれいなパターンになる気がしない。実際に、このばらつき具合を正確に取り込んだシミュレーションをしてみると、以下の様になる。
当然まともなパターンは出ない。
パターンを出すには、他の情報が必要である。
何かヒントはないかと思ってビデオを注意深く見ていると、どうやら、掘削開始地点がキーになっているのではないかと気が付いた。フグは、砂の形状が「山」になっているところを嫌い、「谷」になっている地点から掘り始めやすい、とデータに出ていた。
それならば、ということで、「低い場所の方が掘削開始地点になりやすい」という条件を入れてシミュレーションしたのが下の図。
この条件だと、最初はめちゃくちゃだが、次第に溝と峰がはっきりと見え出し、結構等間隔っぽい放射パターンが出ることが解った。これは良さそうだ。実際のサークルと比較するために、上のシミュレーション結果で、黄色いリングの円周上の深さをグラフにし、実際のフグのサークルと比較すると下の図のようになる。
結構似た感じである。あいまいなパラメーターで掘っても、ちゃんとした放射パターンができるのである。
さて、こんなに精度の低い掘削を繰り返すだけで、なぜ、等間隔のパターンができてくるのか?シミュレーションでそうなった、というだけでは納得しがたいので、以下に簡単に説明する。
図は、溝の断面を正面から描いたもの。フグが、既に出来上がっている深い溝を掘削する場合である。深い溝は、幅も広い。だから、舞い上がった砂は、ほとんど同じ溝の中に落ちる。落ちた砂は溝側面の斜面を滑り落ちるため、それ以上深くはならない。つまり、出来上がった溝を掘っても、溝のパターンに変化はおきない。
一方、浅い溝掘る場合は、以下のようになる。
浅い溝は狭いため、舞い上がった砂のほとんどは隣の溝に落ちて、側面を流れ落ちる。そのため、溝の最深部が上図のように移動することで、。結果として、狭かった溝と溝の間隔が広くなり、等間隔になっていくのである。
フグが全ての溝を、ランダムに掘削し続ければ、すべての溝の間隔が、同じになっていくはず。考えてみれば、当たり前の理屈だ。また、この原理だと、溝の幅は、フグの体の大きさ(幅)と、砂が横方向に飛ぶ距離に依存するはずである。
以上のように、海底のミステリーサークル作りにおける謎の一つは解けた。この成果は、Scientific Reports誌(フリーアクセス)に8月17日に掲載されたので、興味を持たれた方は、是非読んでいただけると幸いです。かわいいフグのサークル形成過程のビデオも楽しめます。
さて、最後に、首尾よくメスを迎えて卵を受精させることに成功した後、そのフグのオスがどんな行動をとるか解説して、このコラムを終えることにしよう。川瀬氏の研究によれば、優秀な、(あるいは立派なサークルを作った?)オスは、別のメスを次々に迎え入れて、産卵させることに成功する。一見、一夫多妻の様だが、メスの方も、別のオスとまた産卵する可能性があるので,結局のところ複婚と考えられている。産卵が済むと、オスはサークルのメンテを放棄するため、巣の外側に並ぶ放射状構造は、崩壊の一途をたどる。しかし、孵化するまでは中央の産卵床にとどまり、卵を守り続ける。卵が孵化すると、巣は用済みとなり、フグも去っていく。同じところでサークル再建はしない。過去の思い出は捨てるのである。なかなか男前な潔いフグなのである。
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